寛解を目指してしていたこと その1
今日から初めて成人スティル病になったときに寛解を目指してしていたことを書いていきたいと思います。
寛解を目指してしたこと その1
今もっているものに"ありがとう"と思う
成人スティル病になって、あのときあんなことしてなければ、とか、なんでこうなっちゃったんだろう?!とか、色々な感情が出てきました。
でも、責めたり悔いたりしてもはじまらない。
今、命があること。
診断つけてもらって治療が始められたこと。
命が、意識があること。
考えてみたらありがとう!と言いたいことはたくさん。
あんなに無理したのに動いてくれてありがとう、と痛みがある膝にも感謝の気持ちになりました。
自分の身体にも、周りの人たちにも。
ポジティブシンキングや引き寄せ、脳の不思議等、目につく本たくさん読みました。
心と身体はつながっている。
願いをイメージすることは、身体にも影響があると言われているようです。
願いを映像で思い浮かべ、今に感謝し、口角上げる!
映像にする、ってどうやって?
と思いましたが、慣れると楽しいです!
もし良かったら、試しにやってみてください。
長文、お読みいただきありがとうございます。
体調が揺れ気味の方はお身体の具合い、だんだん良くなりますように!
写真はもう、すっかり冬の富良野です。
成人スティル病を発症したときのこと その4
成人スティル病を発症したときのこと その3の続きです。
退院後、一気にこれからのことを考えて沈むことが多くなりました。
大事な時期に病気になった自分を責めたり、担当していた子どもたちに申し訳ない気持ちになったり。
職場としては、元気になるまで待つよ、と言ってくれ、もし、保育士として働くのが大変なら事務の仕事でもいいんだよ、と言ってくれて。
とても有り難かったです。
でも、何をしても膝の痛みはなくならず、曲げるのもつらい。
膝ほどではないけれど、あちこち関節痛がある。
誰かと話すとすぐに涙が出る。
皮疹も痒く、蕁麻疹が出たことも。
そして、ムーンフェイスも登場。
鏡を見るたびため息が。
これ、24歳の私には辛かったです。
そんな中で、成人スティル病による症状(膝の痛み以外)や数値が落ち着いていたのが救いでした。
CRPもフェリチンも正常。
膝の痛みにはロキソニンと湿布、たまに水を抜いてもらっていました。
とにかく毎日悲しくて。
こちらもプレドニンの副作用のうつ症状だったと思います。
そんな中でも、家族や彼(夫)、友人たちや先輩や同僚にたくさん支えてもらいました。
結局悩んだ末、一旦環境を変え心機一転治療に専念しよう、と退職しましたが、職場の皆さんも子どもたちも優しくて…。
お別れは悲しかったけれど、感謝の気持ちでいっぱいでした。
当時のことを思い出すと、泣いてばかりいたような気がします。
でも、それ以上に周りのあたたかさをすごく感じた経験でもありました。
今、病気になって辛い思いをしている方がもし、この記事を読んでくれているとしたら、月並みですが、出口のないトンネルはないです。
私もこの時期、真っ暗なトンネルにいるような気がしていました。
でも、希望を捨てなければきっと何か変わっていくと思います。
こちら、テオ・ヤンセン展へ行く前に夫に写メした写真です。
はい、浮かれています。笑
次回から、寛解を目指す為にチャレンジしてみたことを書いていきます。
成人スティル病を発症したときのこと その3
おはようございます。
初めて膠原病の成人スティル病になったときの続きです。
のほほんとした入院生活。
治療はプレドニンを1にち30ミリ飲むだけ。
恐れていたムーンフェイスも先生にちゃんと薬飲んでるのかな?と疑われるほど出ず。
約1ヶ月の入院で25ミリに減らし、退院となりました。
成人スティル病、難病っていっても大したことないな、とその時は思っていました。
でも、退院してから関節痛が酷くなり。
膝を曲げると痛い!
ムーンフェイスもくっきりはっきり。
痒みも。
それまでなかっただるさもありました。
それは、私の場合、メンタル面での変化が大きかったのかな、と後から思いました。
また、続きます…
写真は、北大植物園にて、リスを見付けました。
上の写真にもエゾリスがいます。
成人スティル病を発症したときのこと その2
その1の続きです。
高熱が出るようになってから2週間。
結局、職場の皆さんに医療機関に連れて行ってもらい、受診。
すぐに大きい病院を紹介してもらい、入院になりました。
入院しても検査検査で疾病確定してプレドニンスタートしたのは1週間後でした。
入院決定してからは緊張の糸が切れて、泣いてばかりいました。
でも、職場の皆さんやお医者さま、看護師さん、皆さん優しくて…感謝感謝でした。
家族や彼(夫)や友人や同僚も支えてくれて、ひとりきりで踏ん張っていたような気がしていたけれど、周りの皆のお陰さま、だったことをしみじみ感じました。
入院して駆けつけてきてくれた母が、40℃に熱があがるときに寒くてがたがた震えてるのを見て、「なんでこんな状態で仕事してたの…」とぽつんと呟いた顔が忘れられません。
最初はプレドニン30ミリからスタート。
飲み始めたら嘘のように身体が楽になり、ステロイドのすごさを実感。
約1ヶ月の入院生活は友達も出来て、楽しくのんびりなものでした。
その3に続きます!
成人スティル病を発症したときのこと その1
こんにちは。
すっかり冬空の札幌。
風邪ひいたりしていませんか?
今日から、膠原病の成人スティル病を発症したときの話を、書いていきたいと思います。
当時、皮膚の痒み(背中に蝶のような湿疹)、朝のこわばり、口内炎たくさん、喉の痛み、発熱(毎晩夜になると40℃前後の高熱)、関節痛がありました。
徐々に酷くなりました。
近くの病院に行って検査をしてもらっても、解熱鎮痛薬のロキソニンで様子みましょう、と。
児童養護の仕事をしていたので、感染症ではなくてほっとしつつ。
でも、何かへんだな、と思いつつ。
仕事(施設に住み込みで働いていました)も行事が先々まで詰まっていて。
離れて暮らす家族や彼(夫)や同僚にも言えず。不安を抱えたまま、病院を変えることもせず、ただ周りに隠して1日を終えるのが精一杯でした。
今、考えると本当にどうしてそこまでやっていたんだろう?と思うのですが、助けて!が言えなかったです。
へとへとな身体に鞭打って働いていました。
ただ、仕事中は不思議な位動くことが出来て。
子どもたちからパワーをもらっていたのかな、と思います。
今は子どもたちと関わるなら自己管理から!と思うのですが、じきに治まってくれるかも?そうであって欲しい!と祈る気持ちでロキソニンを飲んでいました。
今、体調不良抱えている方は変だな?って思ったら病院へ行って欲しいです。
この病院で良いのかな?って思ったら、セカンドオピニオン受けてもらいたいです。
写真は、この夏キャンプで2泊した、富良野の金山湖で見た朝日です。
キャンプの朝。
清々しくて好きです。
その2に続きます。
はじめまして
はじめまして。
そわかと申します。
膠原病の成人スティル病になったときのことや。
成人スティル病の再燃のときのこと。
覚えていることになりますが…。
今、ちょっと身体やこころにいいなぁ、と思っていることや、美味しいものや、日々のことなど、綴っていきます。
Instagramで投稿していることをブログでも発信してみよう、と再びブログ始めました。
以前、同名のブログ『日々そわか』で成人スティル病再燃した後のことを中心に綴っていました。
Instagramで投稿した時とはまた違った思いも芽生えていて…
文章は変えたりしています。
初めて成人スティル病を発症したのは24歳の時。
ステロイドのプレドニンが0になり、寛解中に息子を二人授かりました。
その間、バセドウ病にも。
36歳の時に成人スティル病再燃。
去年また、プレドニン0になり、1年が経ちました。
ずっと落ち着いていたバセドウ病のメルカゾールも、プレドニン0になってから0になりました。
今は服薬なしです。
40歳、夫と息子が2人の4人家族です。
これからよろしくお願いします。