膠原病サロンへお邪魔してきました
昨日は、札幌難病センターで行われた、膠原病サロ
ンへお邪魔してきました。
どきどきの初訪問だったのですが、皆さんとてもあたたかくて、それぞれの病気の話や冷え対策なんかについてお茶を飲みながらお話を伺ったり、で、あっという間な時間でした。
元気だった頃の自分と比べて落ち込んで涙していた、24歳だった私に教えてあげたいです。
そのままでいいんだよ。
大変な思いしたね。
そんな風に言って貰えているような空間でした。
同じ膠原病の方々にお会いできて話ができる場所、何十年も前からありました!
そして、たくさんの方とその場を共にしてきた、経験豊かな会員さんも。
昨日は、8名の参加でした。(私がいた時は)
皆さんとっても明るく、笑い声が絶えなかったです。
年齢層も様々でした!
会員さんは来年、新年会があるそうですよ。
私も発症して16年目にして、全国膠原病友の会の会員になりました。
今日のおやつ、一力餅店さんの餅どらでした。
とっても美味しかったです!
夫の分は、冷凍便でおかずと一緒に送ります。
寛解を目指してしていたこと その7
寛解を目指してしていたこと その7
スモールステップを覚悟する!
私が退院後、住んでいた家から徒歩8分くらいのところに八百屋さんがありました。
関節痛が辛いときは車で行っていましたが、だんだんよくなって今度は歩いて行けるように。
それでも、ゆっくりゆっくり歩いてなので、休憩しながらだと片道30分くらいかかっていました。
次の日はつかれがどっと出て外出出来なかったり。
以前なんてことなかったことがすごく大変に。 「いつになったらよくなるんだろ?!」
と、焦る気持ちもありました。
そんな中、元職場の上司にぽろっと焦りをこぼした時のこと。 「らせん階段って、ぐるぐるまわっているようで、気付いたら上に上がっているじゃない?病気が良くなっていくとき、ってそんな感覚だったわよ。」とご自身の闘病体験を語ってくれました。
そっか!
目には見えないけれど、ゆっくり身体は回復してくれているのか。
スモールステップでもゆっくりゆっくり着実に。
だから、自分自身のちいさな変化に気付いて、喜んで、ありがとう!と言おうと決めました。
八百屋さんへ行くときはゲーム感覚で時間を計ったりしていました。
いつの間にか、身体は自分のもの、という意識から、身体は相棒になっていました。
辛いときは励まして、労って。
良くなってきたら、感謝して。
二人三脚でこれからも歩む相棒だから、大切に。
一歩一歩でものんびりゆっくり。
今、症状が辛い方もだんだんよくなりますように!
寛解を目指してしていたこと その6
寛解を目指して私なりにしていたことを、先日から書いています。
寛解を目指してしていたこと その6
身体をあたためる
昔からよく、3首を冷やさないように言われているそうです。
3首とは、首、手首、足首のこと。
ぽっちゃり体型を気にしていた私は発症前、唯一ほっそりしていた3首を積極的に出していました。
実家に帰ると母に、女の子は冷やしたらいけないんだよ!と注意されてもスルー。
真冬でも足首は出していました。
今では信じられないです!
発症してからは、腹巻き、靴下は必須。
シャワーではなく、湯船に。
膝が痛くてお風呂洗いが億劫なときは、せめて足湯を。
飲み物はあたたかいものか常温のものを。
氷は入れません。
ちょっとしたことばかりですが、あたたかいと身体が喜んでいるような気がして、だんだん習慣になりました。
身体をあたためると免疫が上がる!
免疫が上がると薬もよく効いてくれて、減薬もスムーズにいくようなイメージで!
身体あたため大作戦、実行していました。
写真は、りんごと、甘酸っぱくて大好きな早生みかん。
色からも元気もらえます!
あと、余談ですが、赤い肌着や靴下も体温上げてくれると研究結果が報告されているようですよ。
寒い週末になりそうですが、あたたかい飲み物やご飯とともにぬくぬく過ごしたいですね。
今日はちょっと喉がいがいがしているので、お出かけはご近所にして、ゆっくり過ごします。
拙い文章、読んで下さりありがとうございます。
寛解を目指してしていたこと その5
寛解を目指してしていたこと その5
セルフコントロール!(早寝早起き、腹八分目、甘いものはたまに)
セルフコントロールは今でも課題ですが(体調良いときの方が課題かもです)、当時は寛解を目指してストイックにやっていたと思います。
早寝早起き、同じ時間だけ眠っても、やっぱり早めに寝て、早起きした方が日中の活動の質が違うような気がします。
発症当時はプレドニンの影響もあるのか、6時間前後でちょうど良かったです。
季節の変わり目、とか、体調とかで眠る時間は変わりました。
身体の声を聴いてみて、それに従うのが1番良いと思います。
腹八分目、一口30回はよく噛んでいたらあまり食べ過ぎることはなくなりました。
たまに食べ過ぎたときはその後、食事を軽くしたり。
体重の増加はなかったです。
それでもムーンフェイスはちゃんとあったんですけどね(笑)
甘いものは大好きでした。
だから、たまに美味しいお店の焼き菓子を少し、とか、季節の果物を適量、とかにしていました。
発症前は栄養ドリンクや栄養補助ゼリーもよく飲んでいたんですが、甘い飲み物は飲まなくなりました。
よく言われていることばかりですが、少しでも参考になってくれたら嬉しいです!
体調が思わしくない方も、だんだん快方へ向かいますように!
寛解を目指してしていたこと その4
おはようございます。
今日も引き続き寛解を目指してしていたことを書いていきたいと思います。
寛解を目指してしていたこと その4
薬を飲むとき、これ、すごく効く!ありがとう!と思って飲む
私にとって、辛い症状から救ってくれた魔法の薬ですが、数々のいやーな副作用を招いた憎たらしい面もある薬。
ほのぼのしていた入院中はなんの疑いもせず、ありがとう!と服薬していました。
でも、退院後、関節痛が悪化し膝が曲がりにくくなって、メンタルが不安定になってからは、苦々しい気持ちで飲んでいました。
でもでもでも!
ムーンフェイスでリアルアンパンマンだけど。
うつな気分が辛くて、毎日涙がたくさん出てくるけど。
皮疹が痒くて、薬疹出たときは顔にもたくさんで人に会いたくなくなっちゃったけど。
あの高熱から救ってくれた!
朝のつらいこわばりも!
全身の倦怠感&関節痛も!
皮疹もだいぶ良くなった!
ありがとう、プレドニン!
少しずつでもだんだん減らして笑顔でお別れしたいな。と、だんだん考えが変わっていきました。
身体にいれるものだから、イメージって大切だと思いました。
プレドニン隊長が私の身体に入ってくれて、まだ興奮気味の免疫隊を「まーまー」となだめてくれるように。
闘わず、和解でひとつお願いします!と。
そのうち、軍隊できていたプレドニン隊がだんだん少なくなって、免疫隊が正常に機能できるように。
「今日もお願い!いつもありがとう!昨日もいい働きしてくれたー!」
と、飲んでいました。
今、いやな症状が出ていても、治る過程。
発症前に無理していたかな?と私は思うことがあったので、膝の関節痛も無理していた分、我慢させちゃった分今はゆっくりゆっくりしてね、という身体からのサインなのかな、と思うようなりました。
気持ちの持ち方は、私はすごく大切だったように思います。
写真は秋に千歳の名水ふれあい公園へ釣りに行ったときのもの。
息子たち、釣りの師匠に教えてもらって初めてヤマメを釣ることが出来て、大喜びでした。
豊かな川には、カワゲラなどの幼虫や、ヤマメの卵もたくさん。
自然と触れ合うと元気をもらえる!
再燃→寛解から1年。
日に日に体力ついてきていることを実感しています。
あと、素敵なカフェにも連れて行ってもらいました。
千歳市のMEON。
素敵な庭園のあるカフェでテラス席もあるので、子連れにありがたい!
カフェオレ美味しかったです。
寛解を目指してしていたこと その3
こんにちは。
すっかり雪景色の札幌です。
先日から、最初に膠原病の成人スティル病を発症したときに、寛解を目指してしていたことを書いています。
寛解を目指してしていたこと その3
笑う&わくわくする&無心になれることをする
笑いは免疫を上げると言われていますよね。
そして、わくわくしたり夢中になって無心になっているときは心配をしません。
反対に、心配や不安、焦り、怒り等、ネガティブな感情を抱いているときは、免疫は落ちると言われています。
当時、ついつい先々のことを考えて心配になったり、悲しくなったりしていました。
プレドニンの副作用のうつ症状もあったと思います。
でも、笑いやわくわく、無心になることをすると免疫力が上がると知ってから、なるべく今を楽しむように心がけていました。
泣きたいときは思い切り泣いていいと思います!
私も相当泣きました。
涙を流すこともデトックス!
でも、気持ちを上向きにして楽しく過ごせば、寛解への道に繋がるかもしれない!と思ったら、「どう楽しもうか?」と考えることが癖になりました。
家事をするにも買い物へ行くのにも疲れやすいし、膝も痛いので、すごく時間がかかりました。
そんな中でも好きな音楽をきいたり。
これが終わったらお茶飲もう!とか、電話しよう!とお楽しみをつくったり。
お笑い番組を見たり。
ついつい笑っちゃうエッセイを読んだり。
手芸したり。
車で大声で歌ったり。
些細なことで家族や彼、友達と笑い合うことも。
周りで支えてくれた皆には感謝しかありません。
話がそれましたが、ありがとう!と言葉を心から発するだけでも細胞は喜ぶ、という話を聞いたことがあります。
いつも長くてすみません。
次回に続きます!
寛解を目指してしていたこと その2
昨日から、初めて成人スティル病になった16年前に、寛解を目指してしていたことを書いています。
成人スティル病は膠原病の一種で、治療は私の場合服薬のみといわれました。
でも、寛解を目指してずっと再燃しない為に何かできることはあるはず!と、あれこれ調べて実行していました。
成人スティル病、2003年から2年位プレドニン服薬して、0ミリに。
2016年に再燃。
2018年にまた0ミリになって、1年になります。
その間、2007年と2011年に出産、2012年にバセドウ病になりました。
メルカゾールは2018年にやめて1年たちます。
寛解を目指してしていたこと その2
身体が喜ぶものを食べる、飲む
病気になった、とムーンフェイスでふくらんだ顔でいつもの化粧品屋さんに行くと、そこのお母さんが、
「うちの娘も膠原病なの!これ読んで!絶対良くなるからね!」とマクロビオティックの本をくれました。
初めて聞く言葉。
でも、藁にもすがる思いで実行してみました。
調味料や添加物についても調べてみたり。
だんだん良くなってくるとお肉や魚も食べたいな、と思うように。
最初はしっかり、だんだんゆるく、マクロビ、当時は続けていました。 ※今はお肉、魚、卵、豆など、タンパク質ちゃんととるようにしています。
以前は玄米でしたが、今は白米にもち麦と雑穀を混ぜて炊いています。
身体の声を聴いて、新鮮な旬のものをいただくこと。
腹八分目(これが難しかった!ついつい満腹になるまで食べ過ぎてしまう)で、感謝して。
よく噛んで味わって。
当時、化粧品屋さんのお母さんに、絶対良くなるから!と言ってもらえたこと、涙が出るくらい嬉しかったです。
今はSNSで交流出来たり、情報をもらえて、すごく素晴らしいですね!
私の経験で何か役に立てれば、と思っていたんですが、逆でした。
記事を書くことで振り返ることが出来たり、メッセージをいただくことで勇気をもらえたり、忘れがちだったことを思い出させてもらったり。
とても有り難いです。
今の自分は半年前に食べたもので出来ている、って本ありますよね。(タイトルこれで合ってましたっけ??面白かったです)
それなら、身体が喜ぶご飯を毎日適量食べていたら、半年後にはきっと何かしらの変化があるはず!
健康体になる!
信じて、できるところから、少しずつ!
自分の体質に合う、合わないもあるので見極めながら。
楽しく食べたり飲んだりしたものは、きっと元気な細胞となり、血や肉になってくれるはずです!